サウンドスケープ

おもしろい本に出会った。
「サウンド・エデュケーション」R.Murray Schafer 春秋社

ランドスケープが景観、風景などの視覚的な環境だとすれば、
サウンドスケープは「音の環境」。
視覚領域に偏りがちな私たちの意識を、「音の世界」へと導いてくれる。

この本で紹介されているのは、音に関する100の課題。
まわりの音に意識を向けるワーク、自分が発している音に気づくワーク、音に対する創造力を高めるワーク、音を創るワーク、環境としての音について考えるワーク。
古い本だけれど、とても参考になる。

東京の都心にいると、音が多過ぎて、無意識に音を遮断するようになる。
でも気づけば、私たちはどんなに多くの音の中にいることか、、、
意識にのぼらなくても、当然、様々な影響は受けている。

京都に行くと明らかに音が少ないことがわかる。
東京に戻ると聴覚が覚醒していて、
いつも気にならない音が気になって眠れなくなる。

六本木交差点のサウンドスケープはヒドすぎる。
SMAPの中居くんは別に嫌いじゃないけれど、あそこで信号待ちしていると嫌いになりそうになる。
(と思っている人は私だけじゃないのではないかと、、、)

東京の都市デザインにサウンドスケープの考え方は浸透していないのだろうか。。。



最終講義「乱流の難しさと面白さ」

学部時代の恩師が定年退職されるので、その「最終講義」を聴講してきた。
テーマは「乱流の難しさと面白さ」

久々の数式のオンパレードにクラクラしながらも、
40年もの年月を物理の研究と教育に尽力された教授の集大成に、
深い感慨を覚えた。

先生の信条 「Simple is best.」
”だから、学生にはシンプルで本当に大切なことを伝えたかった”

そんな信条を持って私たち学生に教えてくれていたなんて。

当時はバイトと音楽ばかりの浮ついた学生生活で
思えば私はとんでもないはみ出し学生だった。

そんな私にも先生の信条は浸透していたのだろうか?
余分を削り本質だけを追うとシンプルになる。そこに美がある。
そう信じている。

科学に触れると宇宙や自然界の法則に
感嘆し畏怖するようになる。

その感覚を言葉で説明するのは難しいけれど、
なんとなく、そこに自分の核を再確認した気がした。


子供のこころ

子供を取り巻く環境は、大人と違って非常に限定されている。
子供にとっては、自分のまわりの人間や自分をとりまく環境が「世界」そのもので、
それは年齢が低いほど、狭い範囲に限定される。
より小さい子供にとっては、親(養育者)は「世界」そのものになる。

子供が堪え難い体験をした場合、大人とは異なる2つのことが起こる。
1つは、自分のせいだと思うこと。
もう1つは、体験を一般化してしまうということ。

幼い子供が、親が自分に辛くあたるのは、
それが実際には親の都合や事情だったとしても、
自分が悪い子だからだと思っていることは、よくあることで、
両親の喧嘩、離婚なども自分のせいだと思ってしまう。


なぜ、親の問題を自分のせいだと思ってしまうのか。
ある専門家が、こう説明していた。

子供が「親=世界」という中に生きていると考えれば、
「世界」が問題だと感じることは、絶望的で救いようがない恐怖になる。
それよりも、自分が悪くて自分のせいだと思う方が、
自分が「いい子」になれば、親(世界)は自分を愛し
受け入れてくれるはずだと思えるから、まだマシなのだ、と。

真偽はともかくとして、大人になった私達は、
こういう子供の独特な心のメカニズムを
忘れてしまっている。

実際には、年齢が上がるほど世界は広がり、親を客観的に見る目も発達するので、
このように単純ではなく、何層にも折り重なった
複雑な親への感情となって蓄積される。

大人になって、親のことなど関係ないと思って生きている人でも、
親への複雑な感情や関係性は、そのまま社会との関わりに現れていることが多い。

そのことに気づくと、人は本当の意味で自由になっていく。


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